ぢつと手を見る

石川啄木「はたらけど はたらけど猶 我が生活 楽にならざり ぢつと手を見る」

 

 

この手の中には何があるだろうか?

 

 

 小さい頃にギターをプレゼントされ、周りから羨ましがられるほど恵まれた環境があったにも関わらず、何の楽器も身につけることができなかった。訳あってうちはギターを中心に楽器や機材が沢山ありまして、知らぬ間に謎の打楽器が増えていたりします。にも関わらず、ギターもドラムもかじった程度。誰も反対しないし、やるもんだと思われていた、思っていた。親が居ぬ間にこっそり触り、外から車が帰ってくる音がしたら急いで片付ける。やりたいはずなのに。なぜか?おそらく。本心を打ち明けるのが恥ずかしくて、怖かったのだ。親に?自分に?

 優しい家庭だけど、性格似てるから「一緒にやるか?」とか声かけてくれるタイプでもなかったんだよな。きっと声かけられても「いやあ...」って受け流しただろうし笑。小学生の時にサッカーボールを誕生日にプレゼントされて、「サッカー習ってみる?」って言われた時も「いや、いい」って言っちゃったし。内気ぃ〜〜〜⤴︎

 こうした積年のモヤモヤを高3の時泣きながら父に話したことがある。このまま家を出たら話すタイミングをなくすと思ったから。一人暮らし先に持っていくギターを一緒に決めながら、将来父とセッションできたら楽しいだろうなとワクワクした。「うまくなったらled zeppelinのHeartbreakerのソロを弾きたい!」と宣言したのを覚えている。だがしかし、結局大学に入ってからも本気で練習することはなく、いつの間にか部屋の隅で埃被ったギターケースが寂しそうに俯いていた。今、この部屋にはピックもスティックも無い。

 

 大学生になり、ヒップホップが好きになった。フリースタイルから入ったけど、日本語ラップ音源も色々聴いてきた。マイク一本で、自分や仲間が作ったビートに自分の言葉を乗せる。人生を歌詞にする。なんて楽しそうなんだろう。なんてかっこいいんだろう。やってみたい。部屋の中で口ずさみ、一人カラオケで滑舌の悪さと自分の声に絶望し、部屋の中で口ずさみ、寝る。

 iPhoneのメモ欄にはリリックになりそうなフレーズが溜まっていった。言葉遊びは昔から得意なので我ながらいい感じのフレーズは多いと思う。でも一曲の歌詞としてちゃんとまとめたのはいくつあっただろうか。ビートに乗せて曲にしたことはいくつあっただろうか。たまーに気分になれば少しだけやってみて、またしばらく放置。その間もフレーズは溜まっていく。曲を聞いて背中を押される。それでも心の体幹はブレない。ブレてくれない。そのまま大学を卒業し、今、メモ欄のフレーズたちは埃を被って寂しそうに俯いている。

 

音楽が好きだ、お笑いが好きだ、本が好きだ、サッカーが好きだ。

 

それなりに好きなものは集めてきた。

 

やりたいと思うものもあった。

 

でも、今の自分には何があるだろう。

 

何ができるだろう。

 

何かになりたいと思っていた

 

なれると思っていた。

 

何かになろうとするのを怠ってきた。

 

何かになるのを怖がっていた。

 

 

「センスあるね」なんて言われても、そのセンスが何なのか確かめてこなかった自分に嫌気が差す。センスにまだどこかですがっている自分にも嫌気が差す。

 

 

何も無いのだ、この手の中には。

 

 

 

 別にこれから夢を追いかけるぜ!とか、スターになるぜ!とか言いたいんじゃないですよ。ただ自分の存在を証明するような、自分の存在を残すための手段となるようなものが欲しい。「何かしてるの?」と聞かれて答えられるものが欲しい。本当はもう出会ってるはずなんだろう。それを信じて進めれば苦労しないのだが。でも10年ぐらいこの気持ちのまま育ってきた訳だから……って10年後は言いたくないな……。

 それでもここ何ヶ月か短歌を書いている。Twitterやインスタに載せる程度だけど。ほんの少しでもリアクションがあると嬉しい。「この人は読んでくれてるかもな」が安心感につながる。これなら続けていけるんじゃね?という感触があるのでマイペースにつくっていきたいっすね。年寄りになってもできそうな趣味があると、老後に若い頃との変化を楽しめそうだし。仕事で体と心を削られても自分の感性だけは守りたい、もうそれしか無いから。 死守、死守BOYS、SHISHUBOYS、シシュボ。

 

 過去の自分に会ったときにため息つかせるような人間にはなりたくないですね。少しでも希望を持たせたい。「なんとかなるからなんとかしようとしろ!」と言いたい。いや、やっぱ誰か言ってください。きっと未来の自分も言ってくれないだろうから笑