水で粘る

 「高校生の時は目の前の事に取り組んで、楽しんで、悩んでを繰り返してれば良かったのに、今はまだ存在していない将来のことばかりにとらわれてめんどくせえよな」

 

高校の友達とお茶しながらそんな会話をした。

 

言っても仕方がないのだが、20代の期間はその重要さの割に短すぎると思う。4年制の大学に行ってたとして、卒業する時には22歳。社会人1年目の23歳なんてあって無いようなものだからノーカン。20〜23はみなし20代。いよいよ24歳でガチ20代だ!となるが、25になるとなぜか急に四捨五入して30代以降のことを考えなきゃなくなる。マジ遺憾の意ンポッシブル。

 

将来の仕事とか、結婚とか、貯金がどうとか、地元に帰るのかとか、実家どうすんのとか、とかとか。学生じゃなくなると急にそんな話ばかりになる。絶対に通る道だし、悩んで当然のことだ。考えてないわけじゃないけど、みんな偉いと思う。

 

だからこそ、自分からその手の話題はあまり振らないようにしている。社会がどうなっていようが、何歳であろうが、僕は目の前にいる人の中身を知りたい。脳内の路地にお邪魔したい。話して何か生産性があるような会話をしたくない。何も生まれない会話を生み出したい。どうせ、"考えるべき"事に関しては他の人とも話すんだからたまには楽にしてほしいというか。せめて自分と会話してる時ぐらい「なんでこんな話してんだろう?」「しょうもない会話してるなぁ」と思ってもらいたい。もちろん、話を聞いて欲しそうなら聞くし、相談に乗って欲しそうなら乗るし。ただ、自分が生きてる上での役割の1つはそんな悩みを一旦置き去りできる関係無い話題をしてあげる事なのかなと最近感じている。現実逃避と言われれば、まぁそうなのだが。逃避したいようなしんどいことばかりが現実ではないはず。くだらない現実こそ面白がって、愛していたい。たまには宿題サボって一緒に遊んでほしい。

 

色々考えて思い詰めやすい性格だと分かっているからこそ、人にはお気楽でいたいのだ。

 

ところで魚のアジの語源を知ってるだろうか。「味がうまいから」らしい。ほとんどの食べ物はアジと呼ばれる可能性があったという事だ。じゃあ、エイは「エイ!」って捕まえたからエイって名付けられたのかなぁ。