ショーシャンクの蕎麦に

 大学1年生の夏、入っていたサークルを辞めた。特別何かを嫌なことがあったとか、異常に尖っていたとか、そういう訳ではない。ただ1人で思い詰めてしまう悪い癖が出ただけだった。

 数多ある団体の中から僕は学祭を運営するサークルを選んだ。4月の新歓は皆勤賞、先輩とも仲良くなり空気感をバッチリ掴んだ上で入った。決定新歓の際、先輩に「出身どこ?」と聞かれ「香港です」と平気で嘘をつく余裕っぷり。先輩は最後まで真に受けていた。

嫌だなぁと思い始めたのは5月。仕事がそもそも面白くなかったのもある。それ以上に、いわゆる大学生ノリについていけなかったのがキツかった。決定新歓の飲み会の騒ぎ方に引いてしまい「これを楽しいと思わないといけないのか…」と絶望した。他のスポーツ系団体に比べれば全然マシだけど、何が楽しいんだか理解し難い光景だった。隣にいた男の先輩が反対側に座っている1年の女子を見ながら「うわぁ…可愛い…飲ませてぇ…」って呟いてるのとか気持ち悪かったな。あの日から飲み会苦手側の人間に回ったと思う。また、5月末に目的不明のBBQが開催される事もアナウンスされた。何で行きたくもないBBQに時間と金を取られなければいけないのか。政府よろしく遺憾の意を表明していた。当日、1人1人へのコールが始まった頃にもう無理だと耐えきれなくなり、トイレに行くフリをして脱獄を図った。「ねぇ、こんなパーティー抜け出さない?」と声をかける相手が自分だなんてかなしいね。

 少し離れたベンチに座り「あー、なんでこんなことしてるんだろう」と肩を落とした。最初は調子が良かった分、自分と周囲の期待を裏切ってしまったようで申し訳なかった。集団に馴染むには諦めが必要だが、諦めることは自分を殺すことにもなる。良い意味で周りに流される性格があれば、苦労しなかっただろうに。

 すると突然雨が降り出した。小雨ではなく、ちゃんとしたゲリラ豪雨。脱獄し、雨に打たれ、完全に「ショーシャンクの空に」のポスターと化していた。どさくさに紛れて帰ってしまおう。部室に荷物を取りに行くと、先輩と鉢合わせてしまった。この人をモーガンさんと呼ぶことにする。モーガンさんは学年は1つ上だが1浪しているのでちょっとおじさん…大人だった。他の人より落ち着いていて、このサークルの中では割と話しやすい人だった。とはいえ、その場で急に悩んでる事を伝える訳にはいかない。ひとまず体調不良だと嘘をつき、傘を借りてその日は帰った。その後本当に体調を崩し、翌週の活動を休んだ。

 7月。サークル以外も諸々大学生活がうまくいかず、かなりメンタルがやれてしまい学校のカウンセングに通い始めたりするような状態だった。相変わらず同級生とはなんか仲良くなれず、自分から距離をとってしまうようになった。ご飯の誘い、ゲームの誘い、祭りの誘い。こまめに声をかけてくれたが、どれも適当な理由をつけて断っていた。集まりの後の誘いから逃げて1人で外食する謎ムーブもしていた。少し浮いている事に気づいていたからこそ、もう行くのが怖かった。自分に矢印が集まることが怖かった。せっかく仲良くしようと差し伸べてくれた手を払い除け続けたことは今でも申し訳ないと思っている。あの壁は何を守る為だったのだろうか。

 このまま続けても迷惑がかかるし、辞めたいという気持ちがどんどん強くなっていった。誰にも言えないのも苦しかったのでまずはモーガン先輩に相談してみることにした。LINEで気持ちを伝えると、数日後ご飯に連れて行ってくれた。学校の駐車場から軽自動車に乗り込む際、なんだか自殺を止められる人の気分だった。連れていかれたのは学生じゃまず入らないような高級蕎麦屋。庭の手入れも綺麗にされている。緊張している僕とは対照的に、余裕の表情で入っていくモーガンさん。「よく来るんですか?」と尋ねると「いや、はじめて」と答えた。あっさりした返答に不気味さを覚えた。

 2人とも天ざる蕎麦を注文した。上品な香りの蕎麦に、素材の味が引き立つサクサクの天ぷら。とってもおいしかった。写真に残してない料理ほど思い出に残る。

 

モーガンさんは

 

「しんどいことあった時はうまいもん食べればいいんだよ」

 

と言ってくれた。シンプルな言葉だけど、当時の僕にとっては心の救いになった。どんな悩みでも飯の前では無力だ。「美味しいものを食べるために生きている」と言う人もよくいるが、僕は「食べ物を美味しく食べるために生きている」という感覚に近い。どんな高級料理でも、好きな食べ物でも、味がしない程落ち込んでいたら意味がない。その状態も経験したからこそ、カップ麺だろうがスナック菓子だろうが、その食べ物を美味しいと感じられる状態を保つ事が日々の大前提だなと思う。おいしそうに食べる人が好きだし、自分もそうでありたい。その為の努力と優しさなら厭わない。

 何を相談したとか、アドバイスされたとか、正直覚えていない。でもこの一言は強く覚えていて、今でも大事にしている。

 結局気持ちは変わらず、徐々にフェードアウトしていき、夏休み最後の活動の日にサークルを辞めた。その日の活動が始まる前に挨拶をし、先に会室を出た。退出して5歩目でライングループを退会した。心の重荷が取れてスッキリとした気持ちになった。雨は降ってこなかった。

 

モーガンさんがくれた最後のLINE

「個人的には辞めないでほしい、わがままだけど、言うだけ言わして。何もできないからわがままでしかないけど」

僕は自分のわがままを優先した。辞めて以来、モーガンさんと1度も会っていない。今どこに住んでいて何を食べているんだろう。

 

後悔はないし、やり直したいとも思わない。やり直したところでどうせ同じ結末を迎えていた気がするから。ただ蕎麦屋に行くと、あの時期を思い出しては少しむせる。