沈殿と回転

 心の底にいろんなものが沈殿する週末だった。ポイントカードの期限が間近だったので3日連続映画館に生き、「ケイコ 目を澄ませて」「そばかす」「少年たちの時代革命」を鑑賞した。自分の考えている事を信じて良いかもと思えたし、自分の考えている範囲なんて狭小で不確かなものなんだと揺さぶられもした。ケイコはろう者のボクサー、そばかすは恋愛感情を持たない女性、少年たちの時代革命は香港の雨傘運動に参加する若者達。それぞれ異なる葛藤と闘いが描かれており、映画館を出た後毎日頭をぐるぐるぐるぐるさせながら帰った。家でもまだぐるぐるしている。透明にして鏡で見たら木星の自転ぐらい高速で回っていた。前世が平原綾香だから無理も無い。

 映画三昧の合間で「まとまらない言葉を生きる/荒井裕樹」という本も読んだ。

 学者として障害者や障害者運動家と接してきた著者が、昨今の世の中を「言葉が壊れてきている」と警鐘を鳴らし、日常生活で増えてきた危うい言葉と社会への違和感を論じている。単なる若者の言葉遣いとかではなく、理解のない言葉や議論を遮断してしまう言い方について。文中の言葉を借りると「短い言葉では説明しにくい言葉の力」についての思いを綴っている。こんなことを書いてくれる大人がまだいることにすごく安心したし救われた。僕を支える本がまた1つ増えた。生きた心地を求めていいし、ムードや雰囲気に誤魔化されてはいけないし、言葉と心を思い続けることを絶対にやめてはいけないと強く、強く決意した。自分と周りと次世代のため。絶望に加担するもんか。自己責任もコスパもタイパも論破も無くなっちゃえばいい。人生は無駄じゃない無駄を集める旅だ。

 会社の新年会で偉い人の隣に座ったらまぁ酷いいじりばっかでうんざりしてしまった。実害を被ることがあまりなかったのでかなり面食らった。一晩立っても腹が立っていたのだなと、スーパーのセルフレジを操作する中指を見て気づく。めちゃくちゃ優秀な人らしいし、一端で判断してはいけないが、オセロは結局角にある色に染まる。この世界はそんなに変わらない、変わればいいってもんじゃない。でも変わってほしいことがある。思っていることを話せばいいってもんじゃない。でも話したい事がある。感じたことを表現すればいいってもんじゃない。でも言葉にしたいことがある。全てを沈殿させたままでは居られないのだ。

 

 

 帰り道、通りがかったカレー屋で家族客が楽しそうに食事してる様子が目に入った。あの家族のことは何も知らないけど、おいしく食べて無事家に帰ってぐっすり寝ていることを願う。あなたの生きている心地が守られますように。