偽のギンビス

 で、こうしてたまにブログを書いてはみるものの、文章がうまいとは思っていない。思いついてしまった表現をどうしても言いたがるから、読み返してみると構成が下手くそだったり不要な小ネタが多かったりで読みづらいと感じる。調味料をかけすぎている。「ワードセンスあるねぇ」「言葉遊びが面白いねぇ」って褒められる事が多いのでそれはそれでもちろん嬉しいのだが、シンプルに文章が上手という土俵では戦えないんだよなと心の中でため息をつく。

 でも読書感想文も日記もめんどくさいと思ってたしなぁ。小学生の時読書感想文で松坂大輔の本を読んで書いたらクラスの代表に選ばれ、何かのコンクールに提出することになったのだが、いざ出すとなったら先生のゴリ添削により最初の僕の文章はもう匂いすらしなくなっていた。なんかそれがトラウマになってる節はあったかもしれない。ところで松坂がCMに出てて誰がマイナンバー作ろうと思うんだ。

あと高3の時、年次で発行される学校誌で結構な量文章を書かなければならなかったのだが、当時読んでいた星野源の書籍に影響を受けてエッセイみたいな書き方をしたらすごく生意気な内容になったことを覚えている。字数は大幅にオーバー、大きさも米粒サイズの字になっており、読む気にもならなかった。この影響か、一応それなりの役職であった訳だから卒業後も何かしらの機会で文章の依頼がきてもいいと思うのだが、まだ音沙汰なしだ。所詮誰かの真似事でしかない、真似っこ動物。ほら、こういうところだよだめなの。


 ブログも、Twitterも、詩も、短歌も、LINEも、手紙も、メモも、落書きも、意味なんてない。毎日やる気もない。読んだから、書いたから何だと思う。今この記事だって何にもならない。だから必要だ。

 言葉にできないことは形にする、形にできないことは言葉にする、言葉にも形にもできないことはそのまま大事にしておく。

 

 

散歩道にあるフリーな掲示板。こういうのだよこういうの。