豆電球は触ると熱い

 23時発の夜行バスを取ったのが間違いだった。21時まで仕事した後、ダッシュで帰宅する羽目に。なんで21時まで仕事せないかんのだという気持ちとリュックの両脇を抑え、駅を駆け抜けた。家に着いた時点で出発まで約1時間。まだ何も準備していない。買ってきた麻婆茄子丼のお弁当を気合で丸呑みしつつ、かまじいの如く何本もの腕を駆使して荷づくりをする。モバイルバッテリーは入れたか?常備薬は足りているか?イライラして仕事中独り言が増えてきたことを反省しているか?火事場の馬鹿パワーで何とか準備を済ませ、家を出た。駅の近くまで来た段階でタクシーも検討したが、道でタクシーを呼び止めたことがないので緊張してしまい、左手を一瞬だけ挙げてすぐにポケットにしまった。「こいつタクシー止めようとしてんな」と通り過ぎる車達に思われることも嫌なのだ。思ってないだろうけどさ。そんな自意識を捨てられない自分への情けなさブーストで走力がアップし、なんとか出発ギリギリでバスに間に合った。疲れたからさっさと寝ようと目を閉じた瞬間、荷づくりしながら床にこぼした水をろくに拭きもせず家を出た事を思い出した。まぁいいや、四捨五入したら夢だから。

 そんなヘロヘロの状態で東京に行ったのはカネコアヤノの武道館公演があったから。去年の5月に見て以来2回目。その時以上に圧倒される凄いライブだった。音楽や言葉の力が強すぎる人には魔力を感じるのだけど、カネコアヤノもその1人。カネコアヤノという現象を見させられている感覚になる。繊細な言葉の数々に光が宿り、会場に解き放たれ、心臓のど真ん中に響く。他のアーティストのライブでは中々体験できない。武道館を包み込む大きな大きな声量は計り知れないパワーを持っていた。冗談じゃなく、この世界にカネコアヤノの音楽にあるなら大丈夫だと思えた。 あ「明け方」「セゾン」「エメラルド」「光の方へ」など、今日聴きたいなぁと思ってた曲がたくさん聴けた。鬱状態でろくに眠れない日々が続いていた頃、「明け方」にとても救われていた。上手に笑えるようになんてならなくていいんだよな。どうせいつか終わるから、その瞬間に悲しみ怒り喜ぶ。救いであり、ソウルだ。

 MC無しで何も語らず進んでいったけど、アンコール冒頭だけ少し話してくれた。歌ってる最中と反対に、力の抜けた口調で「ありがとうございま〜す」と繰り返し伝える彼女を愛さずにはいられない。「こないだまで鼻くそほじってたのに、なんだかおかしな事になっちゃったなと…生きててよかった〜」とも言っていて、その一言で今日来た甲斐があったなと思った。帰り道、神保町でもう寝てしまった本屋街を歩きながら一緒に見た人と感想を言い合った。「愛と意志が込められているからカネコアヤノが好きなんだよね」と解釈が一致した。好きなものが何かではなく、それがなぜ好きなのかが共通している事に安心を覚えた。

 あと会場の照明が素晴らしかった!小さな豆電球のようなちらちらした光、ろうそくのようなとろとろした光、月明かりのようなぼんやりした光。ライブの雰囲気を見事に創り上げていた。

 開演前、疲れ果てて座席でしばらく爆睡していた。まだ寝ぼけてる最中に公演がスタートしてしまったので四捨五入したらあのライブも夢だけど、現実でも夢でもどっちでもいいや。どうせ忘れない。

 

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f:id:HA_YO_NERO:20230119142924j:image早朝の大宮駅近くのファミマに散乱していたポップコーンの皆さん。