沈殿と回転

 心の底にいろんなものが沈殿する週末だった。ポイントカードの期限が間近だったので3日連続映画館に生き、「ケイコ 目を澄ませて」「そばかす」「少年たちの時代革命」を鑑賞した。自分の考えている事を信じて良いかもと思えたし、自分の考えている範囲なんて狭小で不確かなものなんだと揺さぶられもした。ケイコはろう者のボクサー、そばかすは恋愛感情を持たない女性、少年たちの時代革命は香港の雨傘運動に参加する若者達。それぞれ異なる葛藤と闘いが描かれており、映画館を出た後毎日頭をぐるぐるぐるぐるさせながら帰った。家でもまだぐるぐるしている。透明にして鏡で見たら木星の自転ぐらい高速で回っていた。前世が平原綾香だから無理も無い。

 映画三昧の合間で「まとまらない言葉を生きる/荒井裕樹」という本も読んだ。

 学者として障害者や障害者運動家と接してきた著者が、昨今の世の中を「言葉が壊れてきている」と警鐘を鳴らし、日常生活で増えてきた危うい言葉と社会への違和感を論じている。単なる若者の言葉遣いとかではなく、理解のない言葉や議論を遮断してしまう言い方について。文中の言葉を借りると「短い言葉では説明しにくい言葉の力」についての思いを綴っている。こんなことを書いてくれる大人がまだいることにすごく安心したし救われた。僕を支える本がまた1つ増えた。生きた心地を求めていいし、ムードや雰囲気に誤魔化されてはいけないし、言葉と心を思い続けることを絶対にやめてはいけないと強く、強く決意した。自分と周りと次世代のため。絶望に加担するもんか。自己責任もコスパもタイパも論破も無くなっちゃえばいい。人生は無駄じゃない無駄を集める旅だ。

 会社の新年会で偉い人の隣に座ったらまぁ酷いいじりばっかでうんざりしてしまった。実害を被ることがあまりなかったのでかなり面食らった。一晩立っても腹が立っていたのだなと、スーパーのセルフレジを操作する中指を見て気づく。めちゃくちゃ優秀な人らしいし、一端で判断してはいけないが、オセロは結局角にある色に染まる。この世界はそんなに変わらない、変わればいいってもんじゃない。でも変わってほしいことがある。思っていることを話せばいいってもんじゃない。でも話したい事がある。感じたことを表現すればいいってもんじゃない。でも言葉にしたいことがある。全てを沈殿させたままでは居られないのだ。

 

 

 帰り道、通りがかったカレー屋で家族客が楽しそうに食事してる様子が目に入った。あの家族のことは何も知らないけど、おいしく食べて無事家に帰ってぐっすり寝ていることを願う。あなたの生きている心地が守られますように。

 



 

なんかふってきた

 またティッシュのくずを洗濯機に紛れ込ませてしまった。一人暮らし6年目がやらかすミスではない。ベランダで服をバサバサして、初雪にした。突然の冬の訪れにベランダに敷いてる人工芝ちゃん達も慌てる。まだこの子達は冬を知らない。知らなくていい。薄らと積もった雪をほろう為にベランダでぱんぱん叩く。学校の掃除時間に黒板消しをテラスで叩くのが好きだった。クリーナーはうるさい割に全然綺麗にならなくて嫌いだった。でもテラスなら隣のクラスの友達となんか目が合って挨拶したり、隣の隣のクラスの人が雑巾を落としたり、隣の隣の隣のクラスの人が締め出されてたり。お楽しみオプションがついててよかった。そもそも掃除の時間が好きだったかもしれない。これもっと書きたいけど先生に怒られたのでやめる。

 髪を切りに行くついでにお昼は外で食べることにした。大戸屋に行ってチキ母(チキンかあさん煮定食)を注文。開発者は誰似だったんだろう。そんなことを考えていたら目の前にまーごめのような文字を発見。よく見たら「ごまめしお」だった。惜しい。レ点振ればギリギリまーごめなりそうだった。久しぶりに食べたこともあり、大鶴肥満よろしくあっという間に食べ切ってしまった。

 満腹状態で美容室到着。今日はどんな感じにしますかという質問に「五穀米で」と言いそうになったが、なんとか我慢した。日本人で良かった。髪を切られながら、なんだかんだあってマクドナルドの話に辿り着いた。今年会った人たち全員とマックの話してる気がする。しかしこれまでと流れは違い、聞くとなんと美容師はマックがもう嫌になってきているという。ギャグかと思った。なんでも子供のハッピーセット目当てにイオンモールのマックに何度も何度も足を運んでいるうちにバーガーの匂いがウザくなってしまったらしい。嗅覚にNOと言われるとそこから変わることは中々無い。今は少量とポテトを食べる程度だと言う。なんて悲しいんだ。でもマック食べなくて子供もいるのであればさぞ健康的な食事をしているのかと思いきや、帰ったら毎日コーラとポテチ(パーティサイズ)を1袋開ける大(偏食)人であることが発覚。これには俺の心の中のひわちゃんも全力でツッコんでた。いけないことはわかっているけどもう止めらないらしい。

依存って怖いなぁと思うと同時に、依存できていいなぁって気持ちを抱いた。食べ物に限らず。もはや何のオタクとも言えず、依存しているものが無い今だから思う。たくさんの好きなものに対して五感と気持ちを等しく分配するのが1番良い、羨ましいと言われたことがある。確かにそれが自分の性に合っているんだろうけど、だろうけど、寂しい。所詮僕はカルチャーをバイキング形式で楽しんでいるだけなのだ。

 

 帰りにポテチを買って帰宅した。まーごめな1日が予見していたように、ママタルトはM-1の準決勝に合格していた。この1ヶ月はM-1に依存するんだろうな....痛っ....なにこれ、白いのついてる。雪?ティッシュ?いやチョークの粉か。誰だ〜黒板消し落としたやつ。

冷めよ、マグマ。

10/14

18:30

職場を出てダッシュしたい気持ちを抑えながら映画館へ早歩き。 「廊下走っちゃいけません!」と先生に注意された後の早歩きの速度で。公開初日に映画見に行くなんて珍しい気がする。

18:55

根本宗子が脚本を務めた「もっと超越したところへ。」の上映が始まる。周りは若い女性がほとんどだってのでなんだかそわそわ。斜め前の席にいる女子高生も廊下を早歩きしてここまで来たのだろうか。

21:00

映画館を出て家に向かう。めっちゃくちゃに面白かった。本当に全てを超越したすごい作品だったの心身のエネルギーがどこかに行ってしまった。過去の記憶だけで足が動いてる。誰がどうしようもないクズかと言われればダントツ菊池風磨だったかなー。2人の関係性で見ると千葉雄大&趣里が蓄積したものがすごくてしんどそうと思った。クズってか、うーん。うーんを文中に用いるのはずるいからやらない方がいいな。言わなきゃ分からないことと言わなくても分かる事の違いは何なんだろう。その線引きは不明だけど、大事な事を一度でも言葉にして伝え合った事がない相手なら、言わなくても分かることなんて無いと思う。後出しジャンケンはずるい。うーん。あぁ、また行っちゃった。

大事にする、優しくする。それってfor誰?な祈りと行為の繰り返し。僕は僕の好きな人達に好きでい続けてもらえるのだろうか。そんなことを考えた中盤だったがフィナーレで全部どうでも良くなった。

23:00

アルピーdcgを聴きながら就寝。面白いという状態でその日の感情を上書き保存してからじゃないと寝れない。

 

10/15

9:30 

深夜24時近くまで灰色の顔で残業する夢を見た後起床。寝た気がしない。

11:00

この後会う友人が10月生まれだった気がするので誕生日プレゼントを選ぶ。間違っていたら単なるプレゼントになるだけなので負けのない賭けだ。魂が残らないように食べ物にしよう。

11:30

友人と合流。高校時代の部活の友人で、今同じ街に住んでいるのでたまに誘っている。ホットドッグが美味しい喫茶店に連れて行こうと思っていたのだがまさかの定休日。相手見ながらホットドッグ食べたかったのに。気に入ってるお店に人を連れて行く時は高確率で臨時休業とか定休日だ。毎回プランAが崩れるところからスタートしてしまうのでなんかもう慣れてきた。ちゃんと調べてはいるんだけどな。

12:00

よく利用する中華料理屋へ入店。メニューが変わっていてお気に入りの鮫南蛮が無くなっていた気がする。どこに隠れていたんだろう。僕は麻婆豆腐と油淋鶏、友人はルーローハンと油淋鶏、あと水餃子を注文。腹パン。今にもはち切れそうそうな自分のお腹をさすりながら、富士山噴火の予言が頭によぎる。

今日は趣味のバイクで来たらしいが、忙しくて全然乗れておらず飽きてきているという。バイクより生活の方が速いのか。帰省する時も国道4号がもう何もなくて地獄だそう。チェーンチェーン田んぼ田んぼチェーン田んぼ。でも東北で暮らすということは4号線を走り続けることなんだよと言った。自分の短歌を思い出す。

 

「くだらないポパイ東京特集を燃やして駆けよ国道4号」

 

後半、麻婆豆腐の餡が終盤になるとサラサラになってくるのはアミラーゼが云々唾液が云々という話をされ、披露されたくない知識に疲労し言葉を拾うことを諦めた。

13:30

近くの公園でコーヒーショップの出張販売テントが出ていたので行くことにした。コロンビアのホットをいただいたが、コーヒーがコロンビアぐらい灼熱だったので冷めるのを待つ。コーヒーを始めたいと常々思っているので友人に色々教えてもらう。部活の時も道具によくこだわっていて手入れも手伝ってもらっていた。絶対にハマりそうだと分かるので、腰が引ける。またこうして人生は停滞する。

子供が飛行機のおもちゃを飛ばして遊んでいる。低空飛行で地面にずりずりずりと着地するのを見て「ハドソン川の奇跡だ」と呟いたら、友人の頭には?が3つ浮かんでいた。中国なのかアメリカ本土なのか南米なのかハッキリしてよって思われたんだろうな。どれでもいいじゃん、パンゲアだったんだから。プラスチック製の竹とんぼ、プラとんぼを飛ばしている女の子もいた。空中を舞うプラトンを2人で眺める。イデアだ。

 

14:00

数年したらお店を持つ人出てくるのかなという話の流れから、地元にキッザニアを作ろうという話題で盛り上がった。それもせっかくならニッチな仕事で。測量士放射線技師、用務員、怪談士。どうせ飛行機を飛ばしていた子供だってパイロットにはならないし、整備士にも飛行機にも空にもならないんだから色んな職業を知っておくのはいいことだと思う。僕の様な大人が増えない様に。

15:30

別れ際に誕生日プレゼントを渡した。ちょっといいおかきと芋けんぴ。高校の時はふざけたプレゼントしか渡したことなかったからこれが初めてといってもいいだろう。喜んでくれてよかった。くどうれいんさんの最新刊「虎のたましい人形の涙」の中に「祝福の速度」というエッセイがある。仕事であれよあれよと生活のスピードはあがって行く。他人の誕生日などもいつの間にか終わり、おめでとうとLINEする余裕すらなくなる。それでも置いていかれように、生活の中でたくさんお祝いをしていかなければならない。小さなことに、小さなものでいいから祝福を。自分が何かやれたら祝福したらいい。今日は人を祝福した自分を祝福してあげよう。

17:00

帰りがてらに川沿いを散歩する。紅葉は流石にまだだった。紅葉とか桜とかって毎年まだだなぁと思っているうちに終わっているような。

19:00

風呂に入りながらチャンスの時間 きしたかの日本最速iPhoneチャレンジ視聴。いかなる状況でもキレキレの高野さんは最高だ。彼女がおにぎり持ってきたときに「うまいってなんだよ!毒入れろよ!先輩が見てんだからその前で毒入れて殺せよ!」で腹よじれる程笑った。富士山噴火の予言が頭によぎる。

23:00

トップバリューの野菜かりんとうを食べながら「おいしいごはんが食べられますように」を読んだ。チャンスの時間の後に読んだことを後悔。帯にも確かに書いてたけど、こんな不穏な気持ちでフィニッシュすると思わねえじゃん。今自分が食べた野菜かりんとうを見つめる。どの山よりも紅葉している。なんでこれを食べたんだっけ。朝食べたパン、昼間に友人と食べた料理、プレゼントにあげたお菓子、今日摂取した全ての食べ物が胃の中で騒めき出す。富士山噴火の予言が頭によぎったが、僕は富士山じゃないから大丈夫だ。あーよかった。

 

 

 

 

親知らず知らず

姉ちゃんは母の悩みを知っている。僕はまだ知らない。

姉ちゃんはおばあちゃんとご飯に行ったりする。僕はまだ無い。

姉ちゃんは親知らずができたことがある。僕はまだ無い。

 

 僕はこの先どこまで行っても弟で、姉が少し先に大人になって過ごした数年間は追いつくことができない。愛情の差ではなく、純粋に時間の差だ。姉は自分が小学生の頃には既に実家を出ていたし、今も一緒に実家に帰ることも中々ないのでどういう距離感で接しているのか全然分からない。

 姉はよく母と晩酌していたが、僕は照れ臭くて二十歳になってからもあまり実家では飲まなかった。そんな感じで過ごしていたら母があまり飲めなくなってしまい、せっかく家族と飲んでみたいなと思ってきた頃には相手がいなくなってしまった。父はそもそも少ししか飲まないし。もしかしたらお酒を一緒に飲んでいないと聞けない話があったかもしれない。僕だけ知らない話があるのかもしれない。

 

  高校生の時、親戚の結婚式に出た。披露宴の余興?で父親がギター、母が歌で中島みゆきの「糸」を披露した。ゲボが出そうだった。良いシーンのはずなのに、普段見る事のない姿がなんだか気持ち悪くなって見てられなかった。別の生物を見ているようだった。親戚のおばさんから「良かったねぇ」と言われたが、愛想笑いで済ませた。あくまで両親役をしている1人の人間である、1組の夫婦であるという瞬間に初めて出会い、脳が受け入れられなかったのだろう。今でも多分愛想笑いをすると思うが。

 一緒にやす子の「はい〜」をやるぐらいには家族と仲良いし、人間としても好きな方だ。でも、深いところは知らない。昔のことも、今のことも。どの家庭もそんなものなのだろうか。

 

 学生でもなくなり、適当に自立して生きれるようになった今の自分が、家族とどう関わっていけば良いのか分からない。今まで通りのままでいいのだろうか。周りの人や見たものの話はして、自分の話はあまりしない。これはきっと親譲りだ。

 

本当はお年寄りになってしまう前に

記憶が薄れる前に

いなくならない前に

もっと色んな話を聞いておきたい

もっと色んな話を伝えたおきたい

 

お盆に帰るときは何の話をしようか。いざ聞こうと思うと中々...なんて言ってらんないな。

 

僕はまだ親知らずを知らないのだから。

 

 

 

 

 

夏のそういえば

 観葉植物に水やるついでに自分にも霧吹きをぶっかけている。それぐらい暑い。

 

 そういえば、バナナマンの設楽さんがタンクトップでソファーに寝っ転がってたら誰もいないはずの背後から気配がして、気にしないようにしてたけど段々怖くなってきて恐る恐る振り向いたら脇毛が風でなびいてただけだったっていう話、夏が近づくと思い出す。

 そういえば、中学生の頃、友達と2人でチャリ漕いで夏祭りから帰ってる時。友達が怖い話をし出したので「おいやめろ!俺のフランクフルトで口塞ぐぞ!」と、喋らせないように持ち帰る用に買ってたフランクフルトを詰めるぞというつもりで言ったら、ポコチンの比喩と思われてドン引きされた事、部活のメンバーに広められて以後いじられまくった事(ポコチンのことでは無い)、夏が近づくと思い出す。

 そういえば、エビ中オタク全盛期だった2018年のファミえんin山中湖、泊まったゲストハウスでシャワー浴びようとしたら何をどうしても水しか出ず、仕方なく水のシャワーを浴びたこと。ラウンジで朝食のパンを食べる時、近くにいた外国人に話しかけてみようかなと思ったけど話しかける勇気がなくずっとチラ見している不審なジャパニーズになったこと。水シャワー浴びて向かったライブ、水演出のおかげでゲストハウスの100倍の量の水シャワー浴びたこと、夏が近づくと思い出す。

 そういえば、就活が長引き、暑さに耐えながらスーツを着て面接に向かっていた大学4年。東京や埼玉に向かう時は、スシボの地元越生の近く通るからという理由で八高線を使っていた。クソ2車両編成の電車に揺られ、車窓から何もない田舎の風景を眺めていると、地元を思い出して気が楽になった。車内の冷房が強くて、うるさくて、うれしかった。こっそりお酒も飲んでいたような。コロナ禍で帰省もできず、遊ぶこともできず、就活も終わらず、実体のある亡霊のように生きていたこと。夏が近づくと思い出す。思い出さなくてもいいけど。

 

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当時、小川町駅から取った夕景。今世で開催している夕景-1ぐらんぷりにおいて決勝進出有力。

 

 

思い出したい事がある夏にしたい。

 

 

歯と葉と鳩

5/17 8:00 ラヴィットと共に1日を始める。春日が朝から元気。現代日本は春日無しでは成り立たない。

9:00 洗濯機をかける。かける?まわす?しかける?「レンチン」のような簡単な言い方があったらいいのに。じゃぶじゃぶ洗うからセンジャブにしよう。

9:30 「ここにタイトルを入力」の最終回視聴。テロップさえ見てれば内容がわかるという、今のバラエティを皮肉ったような演出。テレビでテレビを遊んでいる番組は今となっては稀有だ。始まる度に今日はどんな仕掛けがあるんだろう?と考えながら見ていくのは非常にワクワクした。説明もなく、視聴者に委ねてくれてありがたかった。こんなテレビ、もっと見たいよ。

10:30 予約した歯医者に行ったが閉まっていた。自分が予約した日がいつなのかわからなくなった。歯医者だけ時空がズレてしまったのだろうか。

気を取り直して散歩をした。5月の仙台の緑はガチだから好き。

草刈り機の音(爆音)と川のせせらぎ(微爆音)がミックスされててノレた。

おんなじ花が群れててテンションが上がった。名前を調べたら「フランスギク」という外来種でテンションが下がった。集団だけど、別に仲がいいわけではないのかもしれない。内紛でお馴染みのサッカーフランス代表の性質がそのまま花にも適用されるかわからないが、外国人からしたら他国のイメージなど一面的だ。「仏」と書く国なのだから、穏やかであってほしい。

 

11:00 家のベランダで冷凍ブルーベリーを食べながら本を読んだ。左手が紫になったので右手だけを頼りにページをめくった。エドワードゴーリーの「まったき動物園」という絵本を読んだ。ゴーリーが考え、アルファベット順に名付けられた幻獣(架空生物)の紹介。変なのばっかでよかった。

12:00 買い物をしに駅前まで歩いた。半袖でもいけるような気候だが、半分以上の人は長袖だ。Tシャツで出かけてしまうと、もう春には戻れない気がしてずっと長袖を着てしまう。歯医者の予約が思い出せない。

13:00 お寿司屋さんのランチで海鮮丼を食べた。順番を間違えてただのわさびごはんを食べる時間があった。セットでついてきたARAJIRUがとてもおいしかった。ARAJIRU、本当に好きだ。俺が悪の組織だったら世界中の水道を支配して蛇口を捻るとARAJIRUが出るようにしてやりたい。あ、これは正義か。ここは民営化大好きな国だから正義だ。フランスは水道の民営化をやめたらしい。

14:00 鳩が黒かった。

15:00 アルピーのラジオを聴いた。息子の結婚相手家族との顔合わせで東京ばな奈あげちゃう酒井母、愛すべき存在。娘の結婚相手家族との顔合わせで赤飯2升あげちゃうやばたん母、愛すべき存在。歯医者の予約が思い出せない。

16:00 諸々の支払いや予約を済ませる。一昨日頑張って(10日遅れぐらいで)ガス代払ったばっかりなのに。歯医者の予約が思い出せない。

17:00 小腹が空いたのでパン屋まで自転車を走らせたが、途中で気が変わったので引き返した。信号待ちで四つ葉のクローバーを探したが見つからなかった。(こないだ六つ葉を見つけたからクローバー側で"調整”が入っている可能性大!)

18:00 炊飯器をセットした。セット?炊く?しかける?「レンチン」のような簡単な言い方があったらいいのに。「米(A)」が炊けたらピーと鳴るからコメピーにしよう。「米(B)」では「米(A)」がメインでないことに納得いってない。そんなやつに「米(?)」なんて字与えるなよ。

19:00 この記事を書き始めた。

21:00 あ、未来の自分に追い越された。

21:04 (未来側)いえーい

 

 

5/18 10:30 歯医者に行った。

 

 

なんだ歯医者明日か〜

 

 

 

 

 

ショーシャンクの蕎麦に

 大学1年生の夏、入っていたサークルを辞めた。特別何かを嫌なことがあったとか、異常に尖っていたとか、そういう訳ではない。ただ1人で思い詰めてしまう悪い癖が出ただけだった。

 数多ある団体の中から僕は学祭を運営するサークルを選んだ。4月の新歓は皆勤賞、先輩とも仲良くなり空気感をバッチリ掴んだ上で入った。決定新歓の際、先輩に「出身どこ?」と聞かれ「香港です」と平気で嘘をつく余裕っぷり。先輩は最後まで真に受けていた。

嫌だなぁと思い始めたのは5月。仕事がそもそも面白くなかったのもある。それ以上に、いわゆる大学生ノリについていけなかったのがキツかった。決定新歓の飲み会の騒ぎ方に引いてしまい「これを楽しいと思わないといけないのか…」と絶望した。他のスポーツ系団体に比べれば全然マシだけど、何が楽しいんだか理解し難い光景だった。隣にいた男の先輩が反対側に座っている1年の女子を見ながら「うわぁ…可愛い…飲ませてぇ…」って呟いてるのとか気持ち悪かったな。あの日から飲み会苦手側の人間に回ったと思う。また、5月末に目的不明のBBQが開催される事もアナウンスされた。何で行きたくもないBBQに時間と金を取られなければいけないのか。政府よろしく遺憾の意を表明していた。当日、1人1人へのコールが始まった頃にもう無理だと耐えきれなくなり、トイレに行くフリをして脱獄を図った。「ねぇ、こんなパーティー抜け出さない?」と声をかける相手が自分だなんてかなしいね。

 少し離れたベンチに座り「あー、なんでこんなことしてるんだろう」と肩を落とした。最初は調子が良かった分、自分と周囲の期待を裏切ってしまったようで申し訳なかった。集団に馴染むには諦めが必要だが、諦めることは自分を殺すことにもなる。良い意味で周りに流される性格があれば、苦労しなかっただろうに。

 すると突然雨が降り出した。小雨ではなく、ちゃんとしたゲリラ豪雨。脱獄し、雨に打たれ、完全に「ショーシャンクの空に」のポスターと化していた。どさくさに紛れて帰ってしまおう。部室に荷物を取りに行くと、先輩と鉢合わせてしまった。この人をモーガンさんと呼ぶことにする。モーガンさんは学年は1つ上だが1浪しているのでちょっとおじさん…大人だった。他の人より落ち着いていて、このサークルの中では割と話しやすい人だった。とはいえ、その場で急に悩んでる事を伝える訳にはいかない。ひとまず体調不良だと嘘をつき、傘を借りてその日は帰った。その後本当に体調を崩し、翌週の活動を休んだ。

 7月。サークル以外も諸々大学生活がうまくいかず、かなりメンタルがやれてしまい学校のカウンセングに通い始めたりするような状態だった。相変わらず同級生とはなんか仲良くなれず、自分から距離をとってしまうようになった。ご飯の誘い、ゲームの誘い、祭りの誘い。こまめに声をかけてくれたが、どれも適当な理由をつけて断っていた。集まりの後の誘いから逃げて1人で外食する謎ムーブもしていた。少し浮いている事に気づいていたからこそ、もう行くのが怖かった。自分に矢印が集まることが怖かった。せっかく仲良くしようと差し伸べてくれた手を払い除け続けたことは今でも申し訳ないと思っている。あの壁は何を守る為だったのだろうか。

 このまま続けても迷惑がかかるし、辞めたいという気持ちがどんどん強くなっていった。誰にも言えないのも苦しかったのでまずはモーガン先輩に相談してみることにした。LINEで気持ちを伝えると、数日後ご飯に連れて行ってくれた。学校の駐車場から軽自動車に乗り込む際、なんだか自殺を止められる人の気分だった。連れていかれたのは学生じゃまず入らないような高級蕎麦屋。庭の手入れも綺麗にされている。緊張している僕とは対照的に、余裕の表情で入っていくモーガンさん。「よく来るんですか?」と尋ねると「いや、はじめて」と答えた。あっさりした返答に不気味さを覚えた。

 2人とも天ざる蕎麦を注文した。上品な香りの蕎麦に、素材の味が引き立つサクサクの天ぷら。とってもおいしかった。写真に残してない料理ほど思い出に残る。

 

モーガンさんは

 

「しんどいことあった時はうまいもん食べればいいんだよ」

 

と言ってくれた。シンプルな言葉だけど、当時の僕にとっては心の救いになった。どんな悩みでも飯の前では無力だ。「美味しいものを食べるために生きている」と言う人もよくいるが、僕は「食べ物を美味しく食べるために生きている」という感覚に近い。どんな高級料理でも、好きな食べ物でも、味がしない程落ち込んでいたら意味がない。その状態も経験したからこそ、カップ麺だろうがスナック菓子だろうが、その食べ物を美味しいと感じられる状態を保つ事が日々の大前提だなと思う。おいしそうに食べる人が好きだし、自分もそうでありたい。その為の努力と優しさなら厭わない。

 何を相談したとか、アドバイスされたとか、正直覚えていない。でもこの一言は強く覚えていて、今でも大事にしている。

 結局気持ちは変わらず、徐々にフェードアウトしていき、夏休み最後の活動の日にサークルを辞めた。その日の活動が始まる前に挨拶をし、先に会室を出た。退出して5歩目でライングループを退会した。心の重荷が取れてスッキリとした気持ちになった。雨は降ってこなかった。

 

モーガンさんがくれた最後のLINE

「個人的には辞めないでほしい、わがままだけど、言うだけ言わして。何もできないからわがままでしかないけど」

僕は自分のわがままを優先した。辞めて以来、モーガンさんと1度も会っていない。今どこに住んでいて何を食べているんだろう。

 

後悔はないし、やり直したいとも思わない。やり直したところでどうせ同じ結末を迎えていた気がするから。ただ蕎麦屋に行くと、あの時期を思い出しては少しむせる。